Happy Learning, Happy Days

View Original

海外に暮らし、何者でもない自分を受け入れる

こんにちは。

アメリカから帰国して1か月が経ち、日本で暮らすのはやっぱり楽だなと感じています。

日本がアメリカよりも安全で、きれいで、食べ物がおいしいということもありますが、日本には家族や昔からの知り合いがいて、何もしなくても自分の居場所がある・受け入れられていると感じるからです。アメリカでは自分がマイノリティーであることを常に思い知らされ、できるだけ浮かないように気を遣って暮らしていたような気がします。

普段はあまり気づかないことですが、日本人として日本で暮らしているだけで、私たちは様々な特権を享受しています。日本の国民であれば、いつでもレベルの高い医療を受けられ、しかもそれが保険でカバーされます。日本に滞在することや日本で働くことに国から許可を得る必要もありません。海外に行くと、そのような当たり前の権利すら失われ、ビザがなければ滞在できない、労働許可証がなければ働けないという不自由な状況に置かれることになります。

大人が海外での生活になじめないのは、「自分はこういう人間である」というイメージがすでに確立していて、新たな場所でそれまでと同じように行動できない自分をなかなか受け入れられないからです。日本で築き上げたものが多い人ほど、海外で周りから「何者でもない人」と扱われることを受け入れることができません。これはたとえばリストラで職を失ったり、退職して肩書を失った人と同じ心境かもしれません。

私がアメリカ生活で学んだのは、マイノリティーであり何者でもない自分を受け入れることでした。日本では当たり前に存在していたものが、実は「日本人」であり「医師」であることによって得られるものであったことに気づき、それらの恩恵を失った自分はいったい何者なんだろうと模索していました。

長い間同じ場所にいると、自分の居場所があることへの感謝の気持を忘れ、「肩書のある自分」が「自分そのもの」であるように思ってしまいます。時には違う環境に自分を置き、人としてどう生きていきたいのかを見直すことが必要かもしれない、と海外生活を終えて思うようになりました。

See this gallery in the original post