「あきらめろ」と「あきらめるな」について考えたこと
アメリカ生活3年目のYukaです。
たまたま聞いた日本語のポッドキャストで、「(Twitterなどで)自己啓発について書いている人は、そういう言葉で自分を奮い立たせないとやっていけないくらい気持ちが弱っているんだろうね」というようなことを話しているのを聞いて、軽いショックを受けました。
自己啓発=疲れた人がすがるものという発想が新鮮だったことに加え、やる気を出すことに対して距離を取る態度に、最近忘れていた感覚を思い出したのです。
私自身、モチベーションに関する話は好きで、ブログやTwitterにも「習慣化」「努力」「前進」などのキーワードがつくような引用文をあげることもあります。そのポッドキャストで言っていたように、アメリカに来てから私の心が弱っているのかもしれませんが、一方で、アメリカのメディアでそのような内容を見聞きすることが多いためでもあると思います。
日本にいたとき、特に子供が生まれてから、友だちと会って話す内容といえば、悩んでも変わらないよねとか、無理しないほうが楽だよね、今の生活に満足したほうがいいよね、ということでした。今よりいくつも若かったのに、達観したような態度をとっていました。それがアメリカに来てからは、少しでも何か身につけて、今よりもよい状況を作り出したいと思うようになりました。そのせいで、以前よりも焦りを感じる場面もあります。
それぞれの国が発するメッセージが、その国に住む人の考え方に影響を与えている、と思います。
私が日本で受け止めていたメッセージは「もう〇〇歳だから」「子供がいるから」「現状に満足」「あきらめたほうが楽」です。
現実がどうかという話は別にして、アメリカには「今からでも遅くない」「誰にでもチャンスがある」「あきらめるな」という価値観があると思います。
こうやって書いてみると、アメリカのメッセージはちょっと胡散臭い感じがしますよね。でも、そういう価値観がベースにあってみんなが動かされている感じはします。冷めきった態度を取っていた私のやる気が復活したのは、まさに環境の変化によるものだと思います。
日本のメッセージは「あきらめろ」なので、自分の意見を主張することが難しいし、変わったこと・難しいことに挑戦しようとする人には横やりが入る。逆にアメリカでは、「あきらめるな」についていけない人は取り残されてしまう。
ポッドキャストをきっかけに、住む場所やふだん触れているメディアによって自分の考え方が影響を受けていることに、あらためて気づかされました。
それにしても、self-developmentが自己啓発、 “Better than before” が「人生を変える習慣の作り方」、 “Atomic habits” が「複利で伸びる1つの習慣」と、英語が日本語になった途端に受ける印象まで変わってしまうのが不思議です。
お読みいただきありがとうございました。